ウォルポールへの反論

 

ウォルポールへの反論(1741)


ウィリアム・ピット、チャタム伯爵(1708-78年)


 1735年に議会入りし、1755年に政府を攻撃して公職(*陸軍主計官)を罷免された。1756~1757年に国務大臣、1757~1761年の合同内閣で再び国務大臣となり、七年戦争に積極的な対策を講じた。1766年に首相となり、1768年に健康上の理由で辞任し、議会に最後に姿を現したのは1778年のことであった。

訳者より:18世紀までは議会での発言が外に逐一報道されることはありませんでした。ここでは大ピットの雄弁がどのようなものであったかを伺い知ることのできる一例をとり上げます。
原文:https://www.bartleby.com/268/3/22.html

 

 名誉ある紳士がその精神と良識をもって私を告発された若さという大罪について、私はそれを弁解しようとも否定しようとも思いませんが;自分が若さゆえの愚かさを失う人々の一人となり、経験を積んだにもかかわらず無知である人々の一人とならないよう願うことに甘んじようと思います。誰かの若さが非難の対象になるかどうかはサー、私が決めることではありません;しかし年齢が与えた改善の機会が見逃され、情熱がおさまったときに悪徳が勝っているようであれば、確かに年齢というものが軽蔑されても仕方ないでしょう。・・・・・1

 千の過ちの結果を目の当たりにした後でもまだ失敗を続け、年齢を重ねることで愚かさに頑固さが加わっただけの哀れな者は、確かに嫌悪か軽蔑の対象であり、白髪は侮辱を免れる資格とはなり得ません。・・・・・2

ましてやサー、年を重ねるごとに美徳から遠ざかり、より少ない誘惑によってより邪悪になり―享受できない金のために名誉を売り、自分の残りの人生を国の破滅のために費やす者は忌み嫌われるべきであります。・・・・・3

 しかし、私の罪は若さだけではないとのことです。私は芝居じみた役を演じていると非難されています。芝居じみた役とは、身振り手振りの特徴を意味する場合と、自分の本当の感情を隠して他人の意見や言葉を借りることを意味する場合があります。第一の意味においては、この告発は反論するにはあまりにも些細なものであり軽蔑のための言及にしか値しません。私は他の人と同じように、自分の言葉を使う自由があります;そして多分この紳士を喜ばせたいという野心を持つことがあるかもしれませんが、私は年齢を重ねても、経験を積んでも、いかなる拘束をも受けることはありませんし、彼の言葉遣いや態度を真似ることも一切しません。・・・・・4

 もし誰かが、私が芝居じみた行動をとって私が自分のものではない感情を口にしているとほのめかすような告発をするなら、私はその人を中傷者、悪党として扱い―また彼にはいかなる保護も相応しくないでしょう。このような場合、私は気兼ねなく彼らを守っているあらゆる富と尊厳の形を踏みにじることにします。―また私の憤りを抑えられるのは年齢以外の何ものでもありません;年齢は常に一つの特権をもたらします、それは横柄で威張った態度をとっても罰を受けないことです。・・・・・5

 しかし私が怒らせてしまった人たちに関してはサー、もし私が借り物の役を演じていたのであれば、私が彼らの非難を浴びることはなかっただろうというのが私の考えです。彼らを怒らせた熱は信念の情熱であり、国への奉仕に対する熱意であって、希望も恐怖も私を止めることはできません。私は自分の自由が侵害されて平然としていられませんし、公務上の強盗を黙って見過ごすことはできません。誰が彼らの悪事を保護し、誰が彼らの略奪に参加していようとも侵略者を撃退し、盗人を法の裁きにかけるために、どんな危険を冒してでも奮闘努力します。もし名誉ある紳士が―・・・・・6

 [ここでウィニングトンに静粛を命じられてピットは着席した。抗議の過程でウィニングトンは述べた:―「私はサー、二人の紳士の間の論争に結論を下すつもりはありませんが、どのような意見の相違も礼儀に反した粗野で辛辣な表現を正当化することはできない、という指摘をさせていただきたいと思います;怒りに任せただけの表現、敬意というものがどこにも―」 するとピットは飛び上がって立ち、ウィニングトンに静粛を命じてこう言った:]・・・・・ 7

 サー:秩序を守ろうとするのであれば、最も自由奔放な言葉による無作法な行為さえも危険なものではありません;真実以外のことを語ること以上に大それた誹謗中傷やひどい恥辱があるでしょうか。秩序は情熱や不注意によって壊れてしまうこともありますが、このように監督役が他人の衝動を抑えつけながら自分の情熱を抑えることができないのであれば秩序を取り戻すことは難しいでしょう。誰もがサー、自分の領域を知ることができるのなら人間にとっては幸せなことです;同じ人間が犯罪者と裁判官を兼任することはできません、この紳士は自分にできないことを他人に要求する権利を持っていると思ってはならないのです。私は貴殿が意図された好意に多少なりとも報いるために、今後秩序の問題については決して発言されることのないよう助言させていただきます。もしも、このような機会に発言したくなったときにはご自分の今の顛末を思い出し、二度と告発などしようと思わずに沈黙を守られるがよろしい。・・・・・8

注1. この有名な反論は、ウォルポールの「船員の奨励と増加のための法案」に関する議論の中でなされたものである。ここでは、ジョンソン(*サミュエル)博士が1741年11月の『The Gentleman’s Magazine』に提供したものとなっている。この反論の主な言い回しは、ピットではなくジョンソンのものであることは間違いない。この演説が行われた後、ある人がジョンソンの前でこの演説をデモステネスのどの演説よりも優れていると述べたところ、ジョンソンは「私はあの演説をエクセター・ストリートの屋根裏で書いた」と言ったそうである。この記事についてピット、ウォルポール、ハリファックス、ニューカッスルの4人が同じように話しており、彼の言葉を裏付ける内的証拠になっている。しかし、その見解はもちろんピットのものである。これは首相であるロバート・ウォルポール卿に対してではなく、先にロバート卿の政府を攻撃する演説をしたピットに対してその弟であるホレス(*ホレイショ?)・ウォルポールが次のように述べたことに対する返答である:
「恐るべき声調、怒りに満ちた雄弁、高邁な美文は若く、経験の浅い人々には効果的でありましょう、そしておそらくこの紳士はより多くの知識を持ち、自分の気持ちをうまく伝えることができる人たちよりも、同年代の人たちと会話をすることによって修辞の習慣を身につけてしまったのでしょう。もし彼の熱い気質が、年齢や長いビジネスの経験によって疑いようがなく服従を受け優位に立つ資格を持っている人たちのところに行くことを我慢できるのであれば、彼はそのうちに誇張よりも道理を学び、一時的に想像力をかき立てることはできても心に永続的な印象を与えないような大げさなあだ名や華麗な誇張表現よりも公正な議論や事実の正確な知識に心を向けるようになるでしょう。彼は告発することと証明することは全く別であること、そして怨恨に駆られた非難は全くそれを口にした人物の品格を毀損するだけであることを学ぶでしょう。空想の肥大化や修辞の飛躍は確かに若い人たちだけに許されることです。」