モーゼ



MOSES

THE LEADER OF A PEOPLE

BY

WINSTON S. CHURCHILL

 

モーゼ  

民衆の指導者

ウインストン・S・チャーチル著

 

 

訳者より:1932年に出版されたエッセイ集、THOUGHTS AND ADVENTURESの一章です。同書は1956年に中野忠雄氏の翻訳で「わが思想・わが冒険」として出版されましたが、この章は紙幅の関係で割愛されたとのことです。

 著作権はチャーチルの死後50年を経た2015年に切れています。
 文中の*は訳者注です。

原文:https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.209945/mode/2up

 

 

モーゼ

民衆の指導者

 


  “主がモーゼに、エジプトの地でファラオとそのすべての家来、そのすべての土地に行うために遣わされたすべてのしるしと不思議、彼がすべてのイスラエル人の前で示したすべての強力な手腕、すべての大きな恐怖において/主が顔と顔を見知っておられたモーゼのような預言者はその後イスラエルに現れなかった。”

 申命記のこの言葉はヘブライ人の偉大な指導者であり解放者であるモーゼに、後の世代が抱いていた尊敬の念を的確に表している。彼はイスラエルの神と直接語った最も偉大な預言者だった/彼は選ばれし民を束縛の地から導き出し、荒野の危機を乗り越え、約束の地のまさに入り口まで連れてきた国民的英雄だった/彼は国民の宗教、道徳、社会生活の確固たる基盤になる優れた法典を神から授かった最高の法学者だった。そして彼の死をめぐる謎が、彼の威信をさらに高めた。

 まず、聖書の物語を振り返ってみよう。

 ヨセフがエジプトを治めていた時代は終わった。一世紀が過ぎた。ヨセフを知らない新しいファラオが出現した。大飢饉の前の不作の時代に肥沃なナイル川のほとりに避難していた、ベドウィンの遊牧民は増え続けていた。強力な王国の富によって快く迎え入れられたよそ者の一団だった彼らは、今や社会、政治、産業において問題になっていた。彼らは「ゴシェンの地」にいて、大変大きな存在になり、日々、長い腕と有能な指を伸ばしてエジプトの生活全体に入り込んでいた。そこで現代人がよく知っているような動きが起こったのだろう。反ユダヤ主義の波が国中に押し寄せたのである。イスラエルの子供たちは国の政策と市民の偏見によって徐々に、一年一年、じわじわと、客から召使いに、召使いからほとんど奴隷にまで引き下げられて行った。

 当時は熱狂的に建築が行われており、ここに丈夫で腕がよく、勤勉な建設者たちがいた。彼らは生まれながらの建設者だった。強制労働によって彼らはファラオのために宝の町や倉の町を建設した、当時の本当の宝は穀物だったのである。出エジプト記にはピトムとラメセスという二つの都市が登場する。エジプト学者ナヴィルはピトムという都市を発見したが、これはラメセスの時代に建設されたもので、イスラエルの子たちが定住した北東辺境の「ゴシェンの地」に位置している。ナイル川の変動に対抗するには豊作の年に満杯になる巨大な穀物倉が必要だった。この穀物倉の所有が政府の権力の源だった。悪い時期になるとファラオは食料を取り出し、全面的な服従と引き換えに人や獣に配給した。この強固な梃子によってエジプト文明は発展したのである。厳しい時代!イスラエル人が奴隷として建設した都市は、民衆の服従と国家の生命を維持するために政権が依存する、巨大な食糧庫だった考えていいだろう。

 イスラエル人は役に立つ人々だった。彼らは生活の費用を支払い、またそれ以上を支払った。しかし、彼らの絶え間ない増殖は次第に厄介なものとなっていった。必要な貯蔵所には限度があった、そしてまもなく有益で経済的な雇用の機会に対して労働力が過剰となった。そこでエジプト政府は産児制限に乗り出した。出エジプト記にあからさまに書かれている様々な手段でイスラエル人の男子の増加を食い止めようとしたのである。そしてついに男児を殺害することを決定した。この時、ユダヤ人の生活原理とエジプトに樹立された文明の冷酷な力との間に強い緊張が走ったことは明らかである。モーゼが生まれたのはこの時だった。

 法は厳しく、憐れみはなかった。しかし母親はこの子を心から愛していた、そして法から逃れることを決心した。大変な苦労をして彼女は生後三カ月になるまで赤子を隠していた。そして次の世代を生き残らせるという強い意志が、彼女を大胆な策略に走らせた。この話は古代の偉人にまつわるさまざまな伝説に似ている。シュメールのサルゴンは母に捨てられ、葦の籠に入れられ、百姓に助けられて育った。ロムルスやキュロスの幼少期についても似たような話がある。この場合、子供の唯一のチャンスは宮廷に入り込むことだった。ファラオの娘である王女は、ナイル川で水浴びをするのが習慣になっていた。彼女の習慣は研究されていた。パピルスの小さな箱が、彼女が朝泳ぐ岸の近くに魅力的に浮かんでいた。それを召使が取りに行った。その揺りかごの中にいたのは完璧な赤ん坊…「そして赤ん坊は泣いた!」王女は心を溶かし、その子を抱きかかえて、父の令状がナイルを治めている限りこの子を殺させはしないと誓った。そして今や、あらかじめ賢く待ち受けていたモーゼの幼い姉が近づいてきた。「乳母がいる場所を知っています。」そこで乳母が「探され、母親が来た。」広い王室の中に、こうして赤ん坊を育てることのできるニッチが見つかったのである。

 年月は流れる。その子は宮殿やその周辺で育てられ、疑いなくオリエントの王の多くの庶子や一夫多妻の子たちと肩を並べながら一人前の男になる。しかし彼はエジプト人にも、ナイル川の流域に避難してきた人々の子にもなりきれない。砂漠の野生の血、ヒッタイトのそれとまだ混じり合っていないイスラエルの息子の強力な血が、彼の血管に流れている。彼は広く歩き回って、何が起こっているかを見る。彼は自分の民族が経済的必要性や社会的正義を越えて搾取されているのを見る。彼らがエジプトの下働きにされ、その壮大さを維持するためにその強い生命と精力を費やし、わずかな金を稼ぐことさえ渋い顔をされているのを見る。彼らが奴隷の階級として扱われているのを見る/彼らは名誉ある客人としてやって来て、その後ずっと働いていた、荒野の自由な子供たちである!おおよそこのような印象を抱きつつ、彼はエジプト人がイスラエル人を殴るのを見る/間違いなくよくある光景であって、日常生活の一部になっていた出来事である。しかし彼は何の疑いも持たず/一瞬たりともためらうことはない。彼は自分がどちらの側の人間かを知っている。そして、支配し所有する側の種族と彼が共有している、宮廷やそれに伴う特権の恩恵がたちまち消え去ってしまうことを知っている、血の叫びが彼の中に沸き立つ。彼はエジプト人を殺害し、世々の反逆者たちの大きく鳴りやまない喝采に包まれる。

 死体を隠すことは難しく/噂を隠すことはさらに難しい。この何の変哲もない、恵まれた居留民が、自分を養ってくれる手に噛み付いたことが宮殿中に知れ渡るまで、それほど長い時間はかからなかったようである。その時の雰囲気を再現することは簡単だろう!現代の最も文化的で文明的な国家や行政は、ファラオと同じく、これは全く行き過ぎだと感じたことだろう。おそらくエジプトの世論は―そして、わずかでも文明を装っているところには常に世論がある―この暴力行為を、この度を越したよそ者や侵入者に対する政府の弱さが限界に達した最終的な証拠である、とみなしたことだろう。いずれにせよ、ファラオ―これは、どの国のどの制度の下でも、いつの時代でも、支配階級を表す他の名前と同じくらい良い名前である―は行動したのである。彼は殺人犯に死刑を宣告した。実際、私たちは彼を責めることはできない/また殺害者のその後の行動を非難することもできない。彼の行動もまた現代的な方法と一致していた。逃亡したのである。

 当時、ナイルの洪水とナイルの泥という特有の物質的激励の下に、文明の小さな島がそれを統合するための穀物倉制度とともに成長していた―荒涼とした空虚な飢餓の大海の中の小さな島である。この島の外に出て生活を営むことができる人間は、ほとんどいない。実際、メソポタミア、クレタ島、ミケーネなど、世界各地に同じような島があった/しかし、今やモーゼに残されたエジプトか、荒野かという選択肢は事実上、即刻の処刑か、想像しうる限り最も過酷な生存か、という選択肢だった。

 モーゼはシナイ半島に逃げ込んだ。これは、何らかの形で人間が生きていくことのできる最も恐ろしい砂漠である。広大なサハラや極氷地域のように人間がまったく生存できない場所もある。それでもシナイ半島の過酷な環境の中では、ごく少数の人々が常に心と体を維持し続けてきた。現在では数百人のベドウィンが住んでいる。しかし飛行機がシナイ半島に不時着すると、ほとんどのパイロットは喉の渇きと飢えで死んでしまう。このような恐ろしい僻地で、逃亡者モーゼは地元の族長でもある祭祀、エテロに出会った。モーゼは彼のもとに身を寄せ/彼によく仕え、娘のジッポラと結婚して、長い年月を極貧の中に暮らした。すべての預言者は文明の中から来るが、すべての預言者は荒野に行かねばならない。彼は複雑な社会とそれが与えるすべてのものに強い印象を受けなければならず、その後、隔離と瞑想の期間を持たなければならない。これこそがサイキック・ダイナマイトを作り上げる過程なのである。

 モーゼは乏しい草を食む痩せた家畜の群れを眺めながら、彼らと同じように著しく制限された生活を送っていた。そしてある日、太陽が天空を激しく駆け巡り、塵旋風や蜃気楼が低木の中で踊り、明滅しているとき、彼は「燃える柴」を見た。それは燃えていたが、燃えて尽きることはなかった。それは驚異だった。燃えても燃えても、燃え尽きなかった/燃えることによって自らを再生しているようだった。もしかしたら、それは柴ではなく、彼自身の心が、地球が人間を支えている限り、決して消えることのない炎で燃えていたのかもしれない。

 神は燃える柴からモーゼに語りかけられた。即ちこのように言われた「同胞を束縛させておいてはならない。死か、自由かである!奴隷でいるより、荒れ野にいた方が良い。あなたは戻って、彼らを連れ出さなければならない。この茨の茂みの中に生きさせよ、生きられなければ死ぬしかない。しかし、これ以上束縛の家の鎖につながせておいてはならない。」神はさらに大いに語られた。燃える柴から、今や確かにモーゼの体の中へと語られた。
「私はあなたに超人的な力を授けよう。人間が十分な決意をもって望むならば、できないことは何もない。人間は宇宙の縮図である。すべては彼の不屈の意志、すなわち我が意志によって動き、存在するのである。」

 モーゼはこの言葉の大部分を理解できなかった。そして多くの質問をし、あらゆる種類の保証を求めた。神はすべての保証を与えた。実際、モーゼがあまりに自らの疑念と交渉に固執したため、エホバ(これは、燃える柴から語ったこの神の偉大な新しい名前である)は怒ったと言われている。しかし結局エホバはこの男と契約を結んだ、そしてモーゼは奇跡を起こせるようになるという、実に心強い保証を得たのである。彼が杖を地面に置けばそれは必ず蛇になり、拾えばまた杖になった。さらに彼は代弁者を求めた。彼自身は雄弁ではなかった/彼は推進力を与えることができる。しかし優れた雄弁家、つまり事情の説明や高官との駆け引きに慣れている人間に補佐してもらわなければならない。さもなければ、どうして彼の世界において唯一の既知の文明人であるファラオや大臣たちと交渉することができるだろうか?神はこれらの要求をすべて満たして下さった。有能な政治家、鍛えられた話し手であるアロンが与えられることになった。今やモーゼはエジプトを脱出する前に仲の良かった近親者のアロンを思い出した。では直ちに行動だ!エテロは婿が大冒険に出発しようとしていることを知らされる。彼は全面的に同意する。ロバに鞍がつけられた/ジッポラと二人の子供、そして家財道具をロバの背に乗せ、砂煙と照りつける太陽の下、歴史上最も小さく、最も力強く、最も輝かしい救助隊が遠征に出発する。

 モーゼとファラオの長引いた決闘の記録は、過度に重要視されがちである。エジプトの災いは有名で、そのほとんどはエジプトを常に悩ませてきた類のものである―ナイル川の汚染とそれに伴う魚の死滅/カエルの増殖と陸地への侵入/耐え難いほどのハエ/シラミの大量発生(ただし、ブヨとする権威者もいる)/牛の死/長引く砂嵐による地表の暗闇/ナイル渓谷での雹の大量発生/最後に疫病による初子の死。この時、この地の魔術師たちはこの競争に熱中し、一進一退を繰り返しながら三度まで戦いを挑んだ。しかし塵がシラミに変わったとき、彼らは専門家としての畏敬の念とともに、これは「神の指」であると認めた。

 ファラオの行動は大変興味深い。何世紀もの時を超えて、彼の行動には現代性が感じられる。最初彼は不思議を目の当たりにして、要求を容れようとした。しかし、かなり軽い厄介事が彼に理性を取り戻させた。彼はイスラエルの民が荒野に行き、信仰する神に生け贄を捧げることを許可しようとした。この重大な譲歩は彼のすべての建築計画を停止させ、国の経済生活にかなりの狂いを引き起こした。まさにゼネストのようなものだった。この労働の停止による収入の損失は国家にとって惨憺たるものになるだろう、と彼に上奏されたことは間違いない。そこで彼は心を頑なにして、夜明けの約束を夕方に、前夜の約束を朝に反故にしたのである。災いは続き、魔術師たちは脱落した。エホバとファラオとの間の死闘だった。しかし、エホバはあまり簡単に勝ちたいとは思われなかった。イスラエルの子らの解放は、エホバの崇高な目的の一部分に過ぎなかったのである。彼らの解放は、彼らが「選ばれし民」であること、彼らが忠実であるなら、その特別な利益のために宇宙最高の力が働くことを確信させるような方法で行われなければならなかった。そこでエホバは一方では災いを仕掛け、他方ではファラオの心を頑なにされた。

 これは、後の時代にもしばしば起こったことである。政府や国民が、その小さな始まりに恐れをなしつつも最も不本意な闘争に突入し、いったん激流の中を泳ぎ出したなら、勝利の向こう岸に泳ぎ着こうと、計り知れず思いもよらない蓄えと力をもって必死に進んで行くのは、どれほどありふれたことだろうか。そのようにファラオとエジプト政府は一旦思い切って飛び込んだなら「やり遂げるぞ」という気持ちになり、それが「心を頑なに」したのだろう。しかし災いは続き、次々と不幸が襲いかかり、苦悩するエジプトはついに折れた。ファラオは「民を解放する」ことを決意した。

 この降伏に伴う混乱の中、選ばれし民はエジプト人を略奪した。彼らは持てるだけのものを乞い、借り、盗んだ。そして財宝、装備、食糧の荷を(*家畜に)積んで集合し、文明の島から恐ろしい砂漠に飛び出していった。彼らにとって最も良かったのはアフリカとアジアを結ぶ地峡を越えて、現在私たちがパレスチナと呼ぶ地域に向かうことだった。しかし、無視できない二つの理由がこれに重くのしかかった。第一にペリシテ人が道をふさいでいた。この手強い民族はすでに高度な軍事組織を持っていた。エジプトで150年間も国内奴隷生活を送っていたイスラエル人は、荒野の獰猛な戦士と戦えるような状態ではなかった。第二にそのときエホバはモーゼに、解放された部族をシナイ山の近くへと導かなければならない、と告げられた。そこで彼らに新たな神意の啓示が明らかにされるのである。

 そこで彼らは紅海の北の入り江まで行進した。彼らの数については多くの論争がある。聖書の記述によれば男だけで600,0000人で、そのほかに女や子供もいたとされている。不信仰ではなくとも、私たちはこの統計を疑わざるを得ない。事務的な間違いは容易に起こり得ることである。今日でもゼロが一つや二つ誤記されることがある。なにせ「ゼロ」とその利便性が人類の手に渡るまで、まだ二千年以上の時間が必要だったのである。初期の表記法は私たちの表記法よりも誤りを犯しやすいものであった。気候が現在と大きく違っていなかったのであれば、超自然的な、相当な規模の組織的援助なしに、たったの6,000人ですらシナイ半島で生きていくことはできなかっただろう。

しかし、今一度ファラオは考えを改めた。間違いなくパニックの間に受けた大規模な略奪にエジプト人たちは憤っていて、多くの有能な労働者と臣民を失ったことに対する政府の後悔と相まって、現代の議会でさえ決して看過しないような状況になっていたことは間違いないだろう。そこでエジプト軍が動員されて、すべての戦車が追跡のために出発した。逃亡した部族はアカバ湾の最北端にある「ヤム・スフ」と呼ばれる水域の海岸にたどり着き、海とファラオの圧倒的な軍勢との間に挟まれた。彼らの状況は絶望的だった。唯一の手段は逃げることだったが、それは塩水によって阻まれていた。

しかし、エホバは見捨てられなかった。この地域の火山に今でもその痕跡が残っている激しい噴火が起こった。海の水は分かれ、イスラエルの子らはその入江を乾いた足で渡って行った。ファラオとその軍勢は彼らを追ってきたが、戻ってきた水に飲み込まれた。その後、イスラエル人は昼は煙、夜は火の柱に導かれながら、シナイ山の近辺で準備をしていた。モーセはここでエホバから根本的な掟の石板を受け取った。この掟は時折失われたこともあったが、この後、人間社会の最高の形が従って来たものである。

ここで、奇跡の問題全体を簡単に検討する必要がある。川の汚染、ハエ、カエル、シラミ、砂嵐、人畜の疫病などが東洋では有名な悩みの種であることはよく知られている。最も猜疑心の強い人物でも、この時期にそれらが例外的な頻度で発生したことを信じるのは難しいことではない。紅海の水を吹き分けたと言われる強い北風は、地震と火山の活動に助けられた可能性が高い。地質学者によれば、パレスチナの死海の窪みを作ったのと同じ断層が現在東アフリカのケニア州にあるリフトバレーまで切れ目なく続いているという。シナイ半島はかつて火山地帯であって、聖書のシナイ山の昼と夜の描写は噴火によって直接説明できる、それは昼は雲の柱、夜は火の柱になっただろう。エジプトにはウズラの群れが移動に疲れ果てて到来することが多く、イスラエルの民の野営地の近くに間一髪で降り立ったことがあったかもしれない。ルナン(*エルンスト)はシナイ半島のある潅木から時々滲みだす白いゴム液状の物質は、間違いなく栄養を供給することができると述べている。

 これらの純粋に合理的で科学的な説明は、聖書の話の真理を証明するだけである。エホバが選ばれし民を救うためにご自分の自然法則を破ったのか、それとも単に有利に働くようにされたのかを議論して時間を浪費するのは愚かなことである。いずれにせよ、一つの奇跡については疑いようがない。多くの点で無数の遊牧民と見分けがつかないこの流浪の部族は、ギリシャのあらゆる天才とローマのあらゆる権力がなし得なかった思想を理解し、宣言したのである。神はただ一人しかおられない。遍在の神、民族の神、正義の神、富み栄えたまま死んだ悪人を来世で罰する神である/その助けが身分の低い者、弱い者、貧しい者の幸せと不可分の神である。

 モーゼの功績がどの程度であったかということについては、多くの言語で本が書かれている。現代の研究と批評は五書が少なくとも数世紀にわたって形成された物語と教義の聖典であることを証明した。しかし、モーゼが神職と民衆がその上に社会的、道徳的、宗教的に不可欠な決め事をぶら下げるための伝説上の人物に過ぎないという、全てのよく知られたこじつけの作り話を私たちは軽蔑とともに否定する。私たちは最も科学的な見方、最も新しい合理的な考え方は、聖書の物語を文字どおりに受け止め、人類の物語に最も決定的な飛躍をもたらした偉大な人物の一人を同定することに最大限の満足を見出すことである、と信じる。私たちはグラッドグラインド教授やドライアスダスト博士(*それぞれディケンズとスコットの小説の登場人物)の書物には動じない。私たちはこれらのことが聖書に書かれているとおりに起こったと確信することができるだろう。私たちはそれが私たちとそれほど変わらない人たちに起こったこと、そしてそのような人たちが受けた印象は忠実に記録され、何世紀にもわたって私たちが今日のニュースを知る電信記事よりもはるかに正確に伝えられてきた、と信じることができるだろう。グラッドストーン氏の忘れ去られた著作の言葉を借りるなら「聖典という堅固な岩」の上に私たちは確信を持って留まっているのである。

 不運なことに、出エジプトのストレスによって、すなわちイスラエルの子らを飼いならされた種族から征服する戦士の軍隊へと研ぎ澄ますために荒野で必要とされた長い四十年間、あるいはその期間がどうであれ、それによって彼らはエホバに過度の要求をするようになってしまった。彼らは五書に謳われている古い伝統を忘れてしまったのである。異端者ファラオ・アクナトンがその痕跡をエジプトに残した啓蒙的な一神教を忘れてしまったのである。彼らはエホバを独り占めしてしまった。ルナンの言葉を借りるなら、彼らはエホバに胸が悪くなるほど「選ばれし民」をえこひいきさせたのである。すべての神の法と通常の公正さの適用は、外国人、特に彼らが必要とする土地や財産を持つ外国人に対しては中断されるか無効になった。

 しかし、これらは例外的なストレスにさらされた人間の心の自然な過ちである。燃える柴から語られた神が、それはヘブライ人のあらゆる霊感の中で最も古いものであったにもかかわらず、新たな啓示によって御自身を現されるまでには、何世紀もの時間が必要だった―イスラエルだけではなく、彼に仕えたいと願う全人類の神として/正義だけではなく慈悲の神として/自己保存と生存だけではなく、憐れみと自己犠牲と計り知れない愛の神として。

 科学と学問の人たちに知識を広げてもらい、この薄明の時代から私たちに残されている記録の細部まで研究してもらおう。彼らがすることはすべて、人間の巡礼の旅をここまで照らしてきた、記録された真理の壮大な単純さと本質的な正確さを強化することだろう。

 

2022.2.1