自由主義と社会主義



LIBERALISM AND SOCIALISM

St. Andrew’s Hall, Glasgow, October 11, 1906
(From The Dundee Advertiser, by permission.)

WINSTON SPENCER CHURCHILL



自由主義と社会主義

1906年10月11日、グラスゴー、セント・アンドリュー・ホール
(ダンディー・アドバタイザーより、許可を得て掲載)

ウインストン・スペンサー・チャーチル


訳者より:1909年に出版されたチャーチルの演説集”LIBERALISM AND THE SOCIAL PROBLEM”の中の一編です。
原文:https://www.gutenberg.org/files/18419/18419-h/18419-h.htm#LIBERALISM_AND_SOCIALISM

 著作権はチャーチルの死後50年を経た2015年に切れています。
 文中の*は訳者注です。

 

 自由主義と社会主義(*年初の総選挙に圧勝した自由党の安定政権下の演説)

 民主主義の進歩に不可欠な第一の条件は、ヨーロッパの平和が維持されていることであります。戦争は自由主義にとって致命的なものであります。自由主義は世界的に戦争の敵であります。われわれにはヨーロッパ情勢の全般的な様相を喜ぶ十分な理由があります。イギリスとフランスの間に芽生えた友情は、真摯で考え深いすべての人々の深い満足の源となっています。国家の第一の義務は最も近い隣人と友好を深めることであります。六年前、フランスはドレフュス事件の渦中にあり、イギリスは南アフリカ戦争という最悪で最も苦しい時期に陥っておりました/両国は―互いの弱点をよく知っているため―相手の行動に対して遠慮のない言葉で意見を言う傾向があったため、激しい敵対関係が生まれたのであります。今日はなんと対照的な日でありましょうか。国際平和の大義に貢献された国王は、その領土のあらゆる場所において敬愛されており、国王のパリ訪問という先見の明と勇気ある行動があって以来、英仏間の関係は着実に、そして徐々に改善されてきたのであります。今日、私たちは全世界で最も真に自由な二つの国を成しているこの二つの偉大な国民が、冷静な正義と国家間の善意という旗印のもと、友情の連盟を結ぶという感動的な光景に立ち会っているのです。私たちがフランスと築いた友情を、他のヨーロッパの国々や、ドイツの大国に対する何らかの脅威と見なすのは滑稽なことであります。

 欧州大陸の見通しが明るく穏やかであるならば、植民地問題の進展にも満足して良いのではないかと思います。植民地では並大抵ではない困難がありました/しかし、党派的な目的のために強力な報道機関の力を借りて植民地の自由党政権に対する不安を煽ろうとするあらゆる努力があったにもかかわらず、帝国の偉大な国々はダウニング街の自由党政権が自国の権利を尊重し利益を重んじていると感じており、その確信は日ごとに強くなっているのであります。

 しかし、思えば今夜10月11日は宣戦布告記念日でありますので、私は南アフリカに注目したいと思います。そして南アフリカにおいてこそ、その方向づけに多少なりとも責任を負っている私たちが、事態の進展に満足する特別な理由があるのだと思います。私たちが得た大きな利点は―建築のための良い基礎です。南アフリカのオランダ人とイギリス人の間に両者にとって名誉となる条件で平和を確立する、フェニーヒリング条約が結ばれたのです。過去を振り返ってみると、国民がローズベリー卿のチェスターフィールド演説における通常の和平と和解によって戦争を終結させるべきであるという勧告に従ったこと、ミルナー卿がある意味で戦争は決して終わらないと述べたときに、無条件降伏と無慈悲な征服という厳しい政策に引きずられなかったということは、なんという恵みだったのであろうか、と思うのであります。

 最近独立した共和国である南アフリカの二つの植民地に自由な憲法を与えるという仕事は、自由党の最も賢明な直感と最も名誉ある伝統に適うものです。しかし、ご存じのようにかつて自由党の候補者であったミルナー卿―今や、時に沈黙し苦しむ公僕を装い、時に活発で辛辣ですらある政治党派の姿で支持者に長々と演説し、陛下の大臣たちを攻撃している―ミルナー卿は、これらすべての改善された見通しを「退屈な反動の日々」と評していることを私は知っています。進歩と反動は、間違いなく相対的な言葉であります。ある人が進歩と呼ぶものを、別の人は反動と呼ぶでしょう。もし、あなたが破滅への道を急速に下っていて、突然、自分を抑え、立ち止まり、引き返して、自分の足跡を辿るならば、それは反動であり、かつてのあなたの先導者は間違いなくあなたの矛盾を非難するでしょう。三年間の悲惨な内戦を健全で刺激的な進歩の期間と考える人にとって、陛下の政府が最近南アフリカで行ったことの多くが、実に退屈で反動的に見えるというのはまったく不自然なことではないと思うのです。

 しかし、この悲嘆に暮れる植民地総督は放っておいた方が良いと私は思います。南アフリカが試練の時にあるというその言葉に私は同意しません。南アフリカは試練の時期から抜け出しつつあるのです。最も暗い時期は過ぎ去りました。行く手には明るい展望が開けているのです。私たちが期待している改善とは、市場の好況による慌ただしさではなく、農業と工業の生産力の着実な復活と蓄積であります。南アフリカのあらゆる党派、二つのグループの人々が、冷静かつ厳粛に、自国の繁栄を復活させ、発展させるために力を合わせています。行く手には大変な困難、数多くの危険、長い奮闘があることでしょう/しかし南アフリカの星はすでに昇りつつあり、南アフリカがカナダやオーストラリアと並んで大英帝国の輝く星座の中に結束し、連合し、自由にその地位を占めるときを、私は確信とともに待ち望んでいるのであります。

 私たちの島の外のテーマを扱った後は、島の中に注意を向けたいと思います。なぜなら、最も深刻な問題は国内にあるからです。今夜はあえて、目下の事件や事故を左右している、より大きな出来事の傾向について、いくつかの全般的な見解を申し上げたいと思います。自由主義と労働者の運命と利益は、切っても切れない関係にあります/これらは同じような障害にもかかわらず同じ力によって立ち上げられ、同じ敵に直面し、同じ危険にさらされたのです、そして公共の問題に影響を与え、国民の注目を集める力が一緒に浮き沈みすることを過去三十年の歴史ははっきりと示しています。一緒に上がって、一緒に下るのです。そして自由党から政権を奪ったトーリー(*保守党の旧称)の反動は少なくとも労働者の陣営に、それ相応の大混乱を引き起こすことは確実であります。このことはあまり愉快ではない真実ですが、それでもやはり真実です。

 労働者!偉大な言葉です。世界を動かしています、何百万もの人々を擁しています、同じ重荷に対する共感で多くの国の多くの人々を結びつけているのです。労働者を代弁する権利は誰にあるのでしょうか?多くの人々が労働者を代弁する権利を私物化しています。英国民、社会民主主義者、国民大衆を自称して、国中を駆けずり回っている政治的フリバティジベトゥ(*軽薄なおしゃべり)たちが、どれだけいることでしょう!しかし、何らかの組織された意見団体が人類のこの巨大な部分を代表して発言する権利を主張できるとするなら、労働組合こそが他のどの組織よりも信頼できる代表者とみなされなければならない、と私は考えるようになりました。彼らは労働者の最も高度に組織化された部分であり/最も責任ある部分であり/日々、現実に対峙しているのであります。彼らはタバコの煙の中に空想的なユートピアを紡ぎ出す単なる空想家でも夢想家でもありません。彼らは大雑把なやり方で世界を改造しようと躍起になっている冒険的政治家ではなく、科学文明の無限の複雑さと大都市の膨大な現象を、そこそこ頭のいいオウムなら二週間で覚えてしまうようないくつかの野蛮なスローガンに従わせようと提案している人々でもないのです。

 労働組合の運命は、彼らが奉仕する産業と密接に結びついています。労働組合が高度に組織化されればされるほど、彼らはその責任をより明確に認識し、組合員が多ければ多いほど、彼らの知識は増え、展望は広くなるのです。もちろん、労働組合は他のすべての人々と同じように失敗をしでかし、愚かなことや間違ったことをするでしょう、そして他のすべての人々と同じように、手に入りそうもないほど多くのものを望むことでしょう。しかし、数年前までの三十年間、議会は労働組合に、その資金を保護し、彼らがストライキを実施する有効な権限を持つことに対する認可を与えていたという事実は変わりません/そしてこの三十年間が大きな事業を展開し、大規模な製造事業を継続することが不可能な、英国産業にとって悪い時代だったなどとは誰も言うことができないのであります。なぜなら誰もがよく知っている通りそれは良い時代、イギリスの貿易と国富の拡大の時代だったからです。

 数年前、一連の司法判断によって労働組合に関する法律の性格がまったく変わってしまいました。それは難解で不明瞭なものになってしまったのです。最も腕のいい弁護士ですら、その意味を明らかすることはできませんでした。いかなる弁護士も、自分の指導を求める人々にどのような助言をすればよいのか分からなかったのです。その間、ストライキの実施中にある代理人の何らかの行為が、たとえ本人が勝手にやったことであったとしても、合法なものとそうでないものとの間に引かれたぼんやりした曖昧な境界線を越えた場合、労働組合に対する損害賠償請求訴訟が起こされていたことでしょう、そしてその訴訟が成功していたなら、一年一年、一ペニー一ペニー積み上げられてきた労働組合基金、そしてそれと不可分の友好基金や給付金が一瞬で消えてしまっていたのであります。陛下の現在の顧問団が政権に復帰したとき、法律はそのような状態だったのです。私たちは労働組合にその認可を返還することを決意しました。法案は目下庶民院を通過しようとしているところであります。

 わが国ではしばしば、自由党を解党しない限り民主主義の進歩はあり得ないと言われています。そのことを検証してみましょう。この国の労働者は政府に対して大きな力を行使しています。それはどこの国でもそうだというわけではありません。たとえば、ドイツではそうではありません。しかし、ドイツには語る価値のある自由党は存在しません。そこでは労働者が非常に高度に組織化されており、自由党は解党されてしまっています。ドイツにはキーア・ハーディー氏とその友人たちがこの国にもたらしたいと切に望んでいるような党派的状況がまさに存在しているのです。一方の偉大な社会民主主義政党が、他方の資本家と軍部の連合体と、まともに正面から向き合っているのです。これがドイツに存在する問題であり/私がこの国に決して存在しないことを切に願う問題であります。その結果どうなったでしょうか?ドイツでは、社会主義政党の数が多いにもかかわらず、またその指導者の能力が高いにもかかわらず、彼らは公共の問題の行方にほとんど何の影響も与えていません。食料税と徴兵制に従わなければならなくなりました/そして、その党の著名な指導者であるベベル氏が先日マンハイムで、ドイツほど激しい社会主義運動の性質の何物をも効果的に抑え込めるよう組織された国はヨーロッパには他にない、と認めざるを得なかったこと、非常に率直に認めざるを得なかったことに私は気づきました。これは自由党を解党させた労働者たちにとってむしろ、心中穏やかならぬ結果でありましょう。

 しかし、私たちは少し待つように言われています/ドイツの社会党はわずか三百万人です。十年後には何人になるのでしょうか?フェアな議論をしましょう。私はこう申し上げたいのです。四フィートの高さを跳べる人は大勢いますが、六フィートを跳べる人はとても少ないのです。ある地点を超えると、その難易度はだんだん上がっていくのです。海を渡る大きな船を動かすための馬力がそうであるように、空中に風船を上げるのに必要な揚力がそうであるように。風船はある高さまでは簡単に上昇しますが、ある高さを超えるとそれ以上上昇することができなくなります、さらに浮上し続けるには空気が薄くなりすぎるのです。そこで私は具体的な事実を検証してみようと思います。

 革命前のフランスでは、資産はごく少数の人々だけに分配されていました。数千人の貴族と聖職者と商人が国のすべての富を持ち、二千五百万人の農民は何も持っていなかったのです。しかし今日,私たちが目にする世界の近代国家においては,資産は非常に広く分配されています。均等に分配されているとは言いません。公平に分配されているとは言いませんが、非常に広く分配されています。特にイギリスではそうであります。世界のどこにも、おそらくフランスと米国を除いて、これほど多くの人々が利子、利益、家賃を生む財産を持っている国はなく、文明化と自由な制度の全体的な傾向として、生産がますます増加し、利潤がますます広く行き渡っている国はないのであります。そして、そこに近代国家の本質的な安定性があるのです。全てがひっくり返ってしまうようなことがあれば、何百万人もの人々が確実に損失を被りますが、どの場所においてもその何百万人は最も強く、最もよく組織された人々なのであります。そしていかなる暴力的な運動も、必ずや圧倒的な抵抗に遭遇するであろうし、単なる階級的偏見や利己的な欲望に鼓舞されただけの運動は、「持つ者たち」の利己的な力の効果的な抵抗によって不毛と破滅に追い込まれるであろう、と私は躊躇いなく言えるのであります。

 そして、ここにこそ私が皆さんを導こうとする結論があります。私たちが前進するためには、さらなる何かが必要なのです。そこに自由党の機能があるのです。自由主義は、より高い目的と現実的な道を同時に実現します/寛大さと人間らしさの感情によって人々に訴え、節度のある道筋を歩むのです。戦闘的な社会主義によって暴力的なトーリーの反動へと追い立てられるであろう何十万もの人々を、自由主義は毎日、毎年、着実に努力することによって、段階的に進歩と人々の民主的改革の側に引き入れるのです。それがトーリー党が我々を憎む理由であります。それは彼らが偉大な自由党の組織に攻撃を向ける理由でもあります、なぜなら社会をやがてほとんど痛みを伴うことなく―世界は非常に速く変化しているので―より公平で、より平等な土台へと前進させることができるのは自由主義の力であるということを彼らは知っているからであります。それこそが自由主義の使命なのです。自由党の主張は、何百万人もの取り残された人々の主張であります/そして、社会改善の目的のために目下利用できるこれに等しい説得力と効力を持つ道具は世界中のどこにもないと信じているため、私たちは、義務感と名誉にかけて、暴力からであれ反動からであれ、あらゆる攻撃からこれを保護しなければならないのです。

 今夜、社会主義と自由主義の間の哲学的な相違について議論しようとは思いません。個人主義と集団主義との間に厳密な線を引くことはできません。理論的にも実践的にも、線を引くことはできないのです。社会主義者は、そこで間違いを犯します。私たちは、その間違いを真似てはなりません。誰しも完全な集団主義者にも完全な個人主義者にもなることはできません。誰もが個人主義者であると同時に集団主義者でもあるはずなのです。人間の性質には二重性があります。人間社会の組織の性格も二重性を持っているのです。人間は唯一の存在であると同時に、群れる動物でもあります。ある目的のためには集団主義者になりますが、他の目的のためには個人主義者になり、今後もずっと個人主義者であり続けるでしょう。集団として、私たちは陸軍や海軍や公務員を持ち、集団として郵便局や警察や政府を持ち、集団として街灯を灯し、水を供給し、集団としてコミュニケーションに必要なすべてのものをますます享受しているのです。しかし、私たちは集団で愛を育むことはなく、女性たちは集団で結婚することはなく、集団で食べることもなく、集団で死ぬこともなく、この災難と嵐に満ちた世界において悲しみや希望、勝利や敗北に集団で立ち向かうわけではないのであります。

 集団の組織化と個人的な動機の両方を視野に入れていない社会観は、完全なものとはなりえません。しかし、文明のあらゆる傾向は社会の集団的機能を増大させる方向に向かっています。文明がますます複雑になるにつれて、国家が引き受けなければならない新しいサービスが生まれ、また既存のサービスが拡大されます。独占的な性格を持つサービスを私企業に渡してはならないという意見が強くなっており、それには私もまったく同感であります。土地の投機的価値の上昇から生じる将来の不労所得をすべて阻止しようという、相当確固たる決意が存在しており、そのことは今議会で実施されると私は確信しています。自治体の事業領域はますます広がっていくでしょう。さらに言うなら/私は国がさまざまな斬新で冒険的な実験に乗り出すのを見たいと思っており、目下バーンズ氏が植林に興味を持っていることを嬉しく思っています。国はますます労働者の予備の雇用者になるべきである、と私は思っています。この国の鉄道が私たちの手にないことを非常に残念に思っています。運河については、もっとうまくいくかもしれません、そして私たちはみな、この会場にいる進歩党員の皆さんとも、病人や老人、そして何よりも子供たちの保護にますます真剣に取り組まなければならない、という点において一致しています。

 私は生活と労働の最低基準を広く確立し、生産力の増大が許す限り、それを漸進的に引き上げたいと思っています。私はいかなる状況においても、自由主義がこの社会的努力の沃野から自らを切り離すことはあり得ないと考えています。私は心配性のお婆さんなどがやってきて、こうした提案を社会主義的だと言ったからといって議論することを怖がらないでいただきたいのです。もし私の提言を聞いていただけるのであれば、それぞれのケースをそのメリットで判断してください。国家事業が効果的でないと思われる場合には、私企業を利用し、その利益を恨まないでください。

 現存する社会組織は一つの原動力―競争的淘汰―によって動かされています。非常に不完全な社会組織かもしれませんが、それだけが私たちと野蛮主義の間にあるもののすべてなのです。何世紀にもわたる努力と犠牲の上に築き上げられたものであります。それは過去の世代が守り、遺すことができたすべての宝物であり、そしてこの国の社会の現状がもたらす悪は巨大で膨大なものですが、社会システムの利益と成果はさらに大きなものであります。さらに、このシステムはほとんど無限の改善能力を持っているのです。私たちは悪いものを徐々に取り除き/それに含まれる良いものを徐々に増大させることができるのです。私は競争の活力が損なわれるのを見たくはありません、しかし失敗の深刻さを軽減するためにできる多くのことがあります。私たちは線を引きたいと思っています、その下で人が生活し、労働することを許しません、しかしその上では男らしくありったけの力を使って競争することができるのです。私たちは上方への自由な競争を望みます/しかし下方への自由な競争を認めません。私たちは科学と文明によって築かれたものを引き倒そうと思っていません/ただ深い落とし穴の上にネットを張りたいのです/そして骨折って働く多くの人々の心を元気づけ、想像力に火をつけるフェアなユートピアのビジョンが現実になるのであれば、それは既存の社会の競争的体制を通じた発展、修正、そして改善によってもたらされるものであると確信しています/そして今日のように動員され、活動している自由主義が、このすばらしい進化にとって主要かつ不可欠な因子になることを確信しています。

 私はこの短い人生の中で、六年近くも兵士としての訓練を受けました、そこで軍事的な比喩を使うことにしたいと思います。戦争において後衛の戦闘や、厄介な起伏の多い土地からの後衛の救出ほど危険で大切な作戦はありません。人類が自然の様々な要素と繰り広げてきた長い戦いにおいて、軍の本隊は勝利を収めました。広々とした平原に移動し、泉のほとりの陽の光の下、美しい都市と豊かな畑に囲まれた快適な野営地に入ったのです。しかし後衛は隘路に絡め取られ、後衛は山地でいまだ苦戦しており、四方八方を無情な敵の猛攻に晒され、攻め立てられているのです。後衛は怪我人に手を取られ、行軍の本隊が落としていったすべての壊れた車両と、途中で倒れてこれ以上前に進むことのできないすべての落伍者、弱者に道を阻まれているのです。注意が向けられるべきは軍の後衛であります。そこに最も勇敢な兵士と最も信頼できる将軍の居場所があるのです。後衛を脱出させるために、軍事科学のすべての資源と最も重い大砲が使われるべきなのです―それは、本隊をそれが占有している良い場所から連れ戻すためではなく、自然の猛威に対して勝ち取った勝利を投げ捨てるためでもなく―後衛を平地に引き入れ、彼らにも平和で豊かな土地に住んでもらうためなのです。

 それこそが自由党の目標であります、そしてもし私たちが力を合わせるならば、それを確かに成し遂げるために何事かができるのです。



2022.2.19