To E. Fitzgerald E・フィッツジェラルド殿 啓上
懐かしいフィッツ、かつて私がしばらく世話になった
君の田舎の屋敷から、
君はめぐりめぐる変化の球体をちらりと見て、
そして優しい笑顔でそれに挨拶する/
君の庭の木陰に
座っている君を私は見る、
そして鳩は君の周りを飛び交い、
肩、手、膝に止まり、
あるいは君の頭にバラ色の足を置く、
まるでペテロの祈りのときに降りてきた
布の中でいっぱいに動いていたあらゆるものを
君が食べないことを知っているかのように/
君はミルクと挽いた粉と草で生きている/
そしてかつて十週間の長きにわらって
私は君のピタゴラスの食卓を試した、
そして最初は体が空気のように軽く
人間を越えて漂う(シェイクスピアが言うところの)
「空に昇ったもの」になったように感じたが、
大地が冬の闇に覆われ、
空全体が霜に輝いていたある夜、
寒さが身に沁みて、不完全な精神的な高みから墜落し、
再び肉を味わった、
すると半ば眠っていたような私に
血が失っていたあの健全な熱が戻ってきた、
そして私に、その上に大きく枝を広げた
エシュコルの巨大な蔓と
ブドウが待っている
氷の岬と氷河を登らせた/外の
寒さ、そして私の中の暖かさが働いて
夢を育んだからだ/しかし四旬節の食事が
悔い改めを育むなどとは誰も思わないだろう、
あれほど優れた英語版が他にない、
君の素晴らしく出来の良い
黄金の東洋の詩を読んだ者ならば/
それを放った
太陽に等しい惑星、その大いなる不信心者である
君のオマル/そして君のオマルに
現代の最も優れた文筆家たちは、
そしておそらく他の全てにも勝る二人の古い友達の
地上ではもう聞けない二つの声も
惜しみない喝采を送った/
しかし古い友達である私たちはまだ生きている、
そして私は七十四歳になろうとしており、
君は七十五歳になった、
だから私は君におめでとうと
言おう/私が忘れ去っていた本を
読みふけっていた息子はその中に
一片の随分古い日付の
黄ばんだ書き付けを見つけた、そして
これを受け取ったら、
私のフィッツ、君は喜んでくれると思う、
それ自体に価値はなくとも、それが恵み深い時、
君が私の詩にいくらかの価値を見出し、
そして私が君の称賛に大きな喜びを感じた、
若かりしロンドンの日々を。
思い出させてくれるだろうから。
2025.11.30
・ケンブリッジ大学時代から友人だったエドワード・フィッツジェラルド(1809-1883)への手紙です。彼は大変裕福な家庭に生まれ、イングランド東部サフォーク州の田舎で静かに暮らしていました。
・めぐりめぐる変化の球体と言うのは地球のことです。
・フィッツジェラルドはベジタリアンでした。ペテロが祈っているときに降りてきた布の中にはユダヤ教で食べてはならないとされている生き物が入っていました。使徒行伝10章11節-16節。
・ピタゴラスも菜食主義者でした。
・エシュコルのブドウとは、モーゼの偵察隊が持ち帰ったカナンの地の豊穣の証拠です。
・四旬節とは復活祭前の四十日間で、質素な食事をする習慣があります。
・フィッツジェラルドはペルシャの学者・詩人ウマル・ハイヤーム(1048-1131)の四行詩集「ルバイヤート」の英訳で有名です。その内容は現世的で快楽主義的です。チャーチルは処女作「マラカンド野戦軍の物語」の中で二篇を引用しています。
・「それを放った(cast)太陽に等しい惑星」当時、惑星は太陽から飛び出したものと考えられていたのかもしれません。
・二人の旧友とは有名なアーサー・ヘンリー・ハラム(1811-1833)と植民地行政官ヘンリー・ラシントン(1812-1855)のことと思われます。全員が同時期にケンブリッジ大学に在籍していました。フィッツジェラルドの「ルバイヤート」が世に出たのは彼らの死後のことです。
・テニスンは1833年の詩集を酷評され、その後しばらく作品を発表しませんでした。1842年の詩集は大成功を収めたので、テニスンがフィッツジェラルドの称賛を喜んだのはこの時期のことと思われます。
https://www.telelib.com/authors/T/TennysonAlfred/verse/tiresias/efitzgerald.html