ジョン・ブラウン最終弁論
ジョン・ブラウン(1800-1859)
チャーチルの国葬で演奏されたのは「ジョン・ブラウンの屍」というアメリカの流行歌でした。
ジョン・ブラウンは過激な奴隷解放運動家で、軍の武器庫を奪いましたが、制圧されて裁判にかけられ、絞首刑になりました。
以下は法廷での彼の最後の言葉です。
原文
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Brown%27s_last_speech
「法廷のお許しを頂いて、いくつか申し上げたいと思います。
第一に、ずっと認めてきた通り、私には奴隷の解放以外のいかなる意図もありませんでした。私は去年の冬にミズーリ州に入り、そこで一度も銃を撃つことも、撃たれることもなしに奴隷を連れ出し、国内を移動させて、最終的にカナダに移しました。この問題もそのようにきれいに片付けるつもりでした。同じことをもう一度、より大規模にやろうとしたのです。私の意図はそれだけでした。殺人や反逆、財産の破壊、奴隷に反乱や暴動を起こさせたり促したりする意図はありませんでした。
もう一つ異議があります/私がこのように罰されるのは不当なことです。もし私が、私が認めているような方法で行動し、そのことがフェアに証明されたなら(この訴訟で証言して下さった証人の大半の皆さんの真実性と率直さを私は称賛いたします)、もし私が金持ち、権力者、知的な人々、いわゆる偉い人々のために、あるいは彼らの友人、父、母、兄弟、姉妹、妻、子供、あるいはそのような階級の人々のために行動し、このように苦しみ、犠牲を払ったのであれば、それらはすべて正しいこととされていたでしょう/この法廷にいる皆さんは、それらを懲罰よりも、むしろ称賛に値する行動と見なされていたことでしょう。
この法廷は、神の法の正しさを認めておられるものと思います。ここに私が接吻した本があります。これは聖書、少なくとも新約聖書でしょう。(*アメリカ合衆国の法廷には手を置いて宣誓するための聖書がある)聖書は「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」[マタイによる福音書7章12節]、さらに「獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。」[ヘブル人への手紙13章3節]と教えています。私はその教えに従って行動しようと努めたのです。ただし私は未熟過ぎて、神が人間を尊重される方であるということを理解できません。神に見捨てられている貧しい人々のために、私がいつも存分に認めているように、行動したことは間違っていたのではなく、正しかったのだと私は信じています。今、正義の目的を推し進めるために私の命を奪い、さらに私の血を、私の子供たちの血や、邪悪で残酷で不当な法令によって権利を無視されている、この奴隷州の何百万もの人々の血と混ぜ合わせることが必要であるとお考えなのであれば、私は従います/どうぞ、そのようにして下さい!
もう一言、言わせていただきます。
私は、裁判で私が受けた処遇に全面的に満足しています。あらゆる状況を考慮した上で、私の期待以上の寛大な処遇でした。しかし、私には全く罪悪感がありません。私は初日から、何が私の意図で、何がそうではなかったかを述べてきました。私は誰の生命も奪おうとしませんでした。反逆を犯したり、奴隷に反抗させたり、全体的な反乱を起こさせたりする計画もありませんでした。私は誰にもそれらを勧めたことがありません。逆に、そのような考えを常に思いとどまらせてきたのです。
また、私と関係があった人々の発言に関して、一言言わせて下さい。彼らの中の何人かは、私に仲間になるように唆された、と言っているそうです。しかし、それは真実ではありません。彼らを傷つけるために言うのではありません。彼らの弱さを惜しんで言うのです。彼らの中に、自分の意志で私の仲間にならなかった者は一人もいません。そのうちの何人かは、彼らが私のところに来たその日まで、一度も私と会ったことがなく、一度も言葉を交わしたことがなかったのです。
以上です。」
処刑される前に彼は書き残しました。
「今や私、ジョン・ブラウンはこの罪深い土地が血を流すことなく清められることはない、とはっきり悟った。今にして思えば、そのために多くの流血は必要ないと思っていたのは間違いだった。」
南北戦争が起こったのはその翌年のことでした。北軍は「ジョン・ブラウンの屍は朽ちるとも、魂は進みゆく」と歌いながら進軍しました。
2023.8.9