失業問題




UNEMPLOYMENT

Kinnaird Hall, Dundee, October 10, 1908
(From The Times, by permission.)

 

WINSTON SPENCER CHURCHILL



 

失業問題

1908年10月10日、ダンディー、キネアード・ホール
(タイムズ紙より許可を得て掲載)

 

ウインストン・スペンサー・チャーチル


 

訳者より:1909年に出版されたチャーチルの演説集”LIBERALISM AND THE SOCIAL PROBLEM”の中の一編です。
原文:https://www.gutenberg.org/files/18419/18419-h/18419-h.htm#UNEMPLOYMENT

 著作権はチャーチルの死後50年を経た2015年に切れています。
 文中の*
は訳者注です。


 失業問題(*自身の選挙区での演説)

 今宵、私たちの目の前に展開されている政治状況はどのようなものでしょうか。私はそれを、恐れも憚りもなく皆さんにお見せしようと思います。その性格においてより民主的で、その人材においてより広く選ばれ、その政策の全体像において、これまでに知られている歴史上の英国のどの政権よりも急進的な自由党政権が、三年近く政権を担当して参りました。この間、国内外を問わず、重大な行政上のミスは一つもなく、公務の執行を妨害したり、その信用を失墜させたりしたことはありませんでした。重要な立法において前例のないほど実り多い三回の議会を、威厳と迅速さを持って乗り越えました。外国勢力に対する英国の威信と力は用心深く守られ、現在ではかなり増強されております。この威信と力は、国際的な対立や疑念を和らげ、公法を正しく尊重し、大国の間の公正で調和のとれたバランスを保ち、機会があれば近東でもコンゴでも、寛大で無私の人道主義を推進するために一貫して用いられて参りました、そしてこれからも用いられ続けることでありましょう。

 大英帝国は自由党政権の下で、発展と地固めに有利な豊かな平穏の時を過ごして参りました/そしていまだかつて現在ほど強く、平和に結束していた時期はなかったと言っても過言ではありません。目下のヨーロッパの危機において、党派を問わず全国民がエドワード・グレイ卿に寄せる信頼は、外交問題における我が国の成功の物差しであります。南アフリカ連合で会議が行われたことはそれ自体、植民地政策の正当性を証明するものです。私たちが責任を負ってきた各年度は、私たちの公然たる反対者の多くを不本意ながらも同意させ―少なくとも異議を沈黙させるような―偉大で有益な出来事があったことが特徴でした。1906年には労働組合の特権(*労働争議法)/1907年には南アフリカの調停と和解/1908年には老齢年金の設立がありました。これらは大きな問題であり/歴史にその名を刻むことになるでしょう/必要とあらば、陛下の政府はこれらの問題のみを理由として将来の時代において、名声とまではいかずとも、尊敬を集めることができるであろう、と私は自信を持って言うことができます。

今夜の会合は危機的な雰囲気の中で行われるわけでもなく、総選挙が予想されるわけでもありません、それでも私は、そして皆さんもそうでしょうと敢えて申し上げますが、私たちは今、議会の命脈の転換期に到達しているのだと感じています。今後六カ月間でおそらく政権に残された時間の運命がすべて決まるでしょう、そして徐々にではありながら衰退が進み、政権が自然な流れに乗って多くのそれらが安らかに眠っている墓場へとゆっくり運ばれて行くか、それとも力を揮うことによって新たな活力を獲得し、征服しながら、さらに征服するために前進するかが決まると思われます。

 私は先ほど、偉大な、極めて重要な法案が今会期の特徴になったと申し上げました。老齢年金制度の確立、という段階に踏み切ったことの重大さと意義を否定することは誰にもできないでしょう。この措置は貧困に関するまったく新しい原則を我が国の社会制度に主張するものであります。そしてこの原則が一旦主張されたなら、それが既存の制限の中にとどまることはあり得ません。老齢年金は私たち全員を非常に長い道のりへと導くことでしょう。それはすぐに、あるいは簡単に閉じられることのない扉を開いたのであります。両院の議員たちは貧困という無情な奈落の縁に連れてこられたのです。その深さと陰鬱さを熟考するための厳粛な会議へと召集されたのです。皆同じように来ては凝視し/動揺しています。中には私がその能力と経験に異議を唱えることができないような著名な方々もいらっしゃいます。しかし彼らは見たものにぎょっとして後ずさりしています。そしてその目に映るものは厳しく苦しい見通しでしかないため、ドアを叩き閉じることしか考えていません。

しかし、我が国で目覚めた精神はそれだけではありません/それに劣らず強力で、より多くの人々が、このドアが閉じられることを決して許しません/彼らはその中に足を挟んで、ドアを閉じさせないことを決意しているのです。いえ,それ以上に彼らは奈落の底に降りて,その悪と格闘する用意があるのです―炭鉱で爆発があった後,救助隊が煙と蒸気の中を臆することなく進んでいくようにです。今、今議会の未来がかかっている問題があります。―「前進か、後退か」という声が私たちの耳の中で大きく響き、相争っています/最も鋭く、最も単純で、最も途方もなく、この世代の人間に突きつけられているこの問題―「前進か、後退か」―これが現在私たちが直面している問題であり、政府の未来はこの問題に賭かっているのです。後ろには気弱な味方がいて/前には声高に叫ぶ敵がいます。ビール業者の荷馬車が道の向こうに引かれてゆき、その後ろには既得権益者の手強い連合体が戦陣を張っています。無関心と無気力という山のような障害物が、我々の前進を阻んでいます。皆さんはどうしますか?前進か、後退か?

 私たちの力が許す限り、私たちが取り組まなければならない悪は高齢者の貧困だけではないことを忘れてはいけません。この時代の問題は何でしょうか。それは一言で言うなら―失業―です。二年にわたる類まれな貿易の拡大の後、私たちは下降の時期に入りました。これは私たちだけの問題ではありません。過剰貿易の反動は世界的なものであります。ドイツもアメリカも同じような商業の収縮に苦しんでいるのです。そして高額で念入りな保護関税にもかかわらず、貿易の後退は両国において深刻な産業の混乱と失業を伴っているのであります。特にアメリカでは、最近、失業が我が国以上に広がっていると聞いております。実際、昨秋の米国の金融破綻は、現在の貿易不振の原因の中で最も明らかなものであります。

 不況の終わりが見えてきたとはまだ言えません/しかし、この不況が他の景気循環で知られているよりも、あるいは一部の人々が当初信じようとしたよりも、より深刻ではなく、より長期的ではないという希望を正当化するいくつかの重要な兆候があるように思われます。しかし,失業の問題は貿易不振の時期に限られたものではなく,貿易の復活によって解決されるものでもありません/今宵,短い時間ではありますが,私が注目していただきたいのはこの問題のより大きな,より永続的な側面なのであります。

 英国の人口が自給自足可能な限度を超えて増加したという証拠ありません。それどころか、富は人口よりも速く増加しております。生産は活発で/産業は成長し、驚くほどの活力と速さで成長しております。この国の企業は人為的な刺激を必要としません/もし間違いがあるとするなら、それは時折、過剰貿易と過剰生産の側に立つことでしょう。繁栄が拡大する中で、この国には増加する人口を支える能力がないと信じる根拠はありません。

 しかし、世界のどの国民よりもイギリス人は製造業に従事しているということを忘れてはなりません。単純な農業と対照的な、まったく異例の製造業への依存がなければ、我が国の人口が現在のような膨大な数に達することも、我が国が世界における今の地位を獲得することもなかったということは確かであります。したがって、近代産業の活発な生命と成長から切り離すことができない通常の変化と移行が、我が国では相対的に他の国よりも激しく作用しているのであります。産業界の混乱は英国において他国よりも深刻なものであります、なぜなら、それは国民のはるかに大きな部分に影響を与えており、その経済的困窮において、都市の民主政体は他の国に見られるような地方在住者や農業者の強固な後ろ盾に支えられていないのです。したがって、世界貿易や国内産業において避けられない変動や後退に対して、科学的な(*scientific:系統立った、精確な)備えをすることが何よりも必要になってきたのであります。

アメリカの金融不安、近東や極東の危機、あるいは世界貿易に影響を及ぼす何らかの原因、月の満ち欠けのように私たちにどうすることもできない原因の余波が、何千もの質素な家庭や世帯に、いかに容易に戒厳令や戦時並みの封鎖のあらゆる恐怖を与えるかということを、私たちは最近見てきました。さらにストライキやあらゆる種類の貿易紛争は、その争いにまったく関心のない膨大な数の人々に影響を与えます。さて、今宵私は「働く権利」の原則を宣言するつもりはありません。権利の行使を離れて権利を宣言することに大した意味はありません/そして行使されたならば宣言する必要はありません。しかし私がここで主張したいのは、正直で法を遵守する市民に対する政府の責任であります/そしてこれまでその責任に異議が唱えられたり否定されたりしてきたことに私は驚きます。

 インドに飢饉が発生した場合、異常気象のために天が雨を、地が実りを拒んだ場合、影響を受けた地方に救済施設が設けられ、大帝国のあらゆる地域から食糧の列車が押し寄せ、関係する人々に援助や支援が与えられますが、それは単に飢饉を乗り切るためだけではなく、それが終わった時にまた仕事を再開できるようにするためなのです。インドの大きな州において作物の不作がヒンズーの農民に与えるのとまったく同じ影響を、我が国の工業地域や大都市における産業の混乱が普通の職工に与えるのです。生きていくための手段が突然失われ、大方迅速かつ恐ろしい姿をした破滅がたちまち目の前に立ちはだかるのであります。こうした不測の事態はいかなる政府組織にとっても最も重要かつ基本的な義務の範囲に属するものと思われます。すべての国、すべての時代においてその責任が果たされてきたのかどうか、私にはわかりません、しかしこの豊かな国、この科学的な時代において、果たされておらず、果たすべきであり、果たされなければならない責任が今ここに存在する、というのが私の見解であります。

 我が国の工業労働者の基礎をなしている社会の機構は、欠陥があり、組織化されておらず、不完全なものであります。多数の人々が巨万の富を享受している一方で、職工階級の大部分は他の国の仲間に追いつき、先んじた状態にある一方で、科学的なうわべのキリスト教文明の恥部である境遇に置かれた、少なからざる少数派が国家にとって重大かつ増大しつつある危険因子と見なされているのであります。そうです。外国人からしばしば羨ましがられる、生活の優雅さと快適さがこれほどまでに完璧にもたらされ、階級間の憎しみや嫉妬がほとんどなく、政治的な経験と知識が幅広く蓄積され、膨大な道徳的力、多くの知恵、多くの美徳、多くの権力を行使できる、誉ある我が国において、私たちは保険と安全という必要装置を設けることにまだ成功しておらず、またそれなしでは私たちの産業システムはただ不完全なものになってしまうだけではなく、実際のところ非人道的なものになってしまうのです。

 我が国の産業システムの障害はしばしば我が国の外から、私たちの手に負えないような原因によって引き起こされる、と私は申し上げました。コレラや腸チフスやジフテリアが流行したとき、健康な人は病原菌が侵入しやすい体質の人より危険が少なく、たとえ寝込んでしまったとしても、早期に回復する可能性がはるかに高いのであります。今、イギリスの社会と産業の状態は健康とは言えません。私は我が国の現在の産業システムに、我が国を国際貿易の混乱に特に影響を受けやすくする三つの悪しき事情を見出しました。第一に、産業の中央組織が存在せず、通常の政府の仕事も、特別な救済事業も、全体的かつ協調的に管理されていないこと。商務庁(*チャーチルはこのとき商務庁長官)がどの冬にどの程度の失業率が発生するかをある程度正確に予測することは可能でありましょう。政府のどこかの官庁のどこかの機関が―どこでもいいのですが―事前に全体の状況を把握し、一定の範囲内で政府の契約の全体的な配分に強い力を行使することができるはずです。

一時的かつ人為的な縮小期に、一時的かつ人為的に労働需要を拡大させることは、経済的に不健全なことではありません。イングランド銀行が銀行金利によって企業活動の流れを調整し修正するのと同じように、労働市場の全般的な流れを調整し均等にするための平均化機構が明らかに必要であります。不況の程度が予測される場合、救済の程度も決定されなければなりません。例えば植林のように有用ではあるが非競争的な性格の、一定の認められた産業を恒久的に存在させ、公的部門が管理し、労働市場の需要に応じて拡大したり縮小したりできるようにする必要があります。この方法で失業者をなくすことはできませんし、失業者の発生を防ぐこともできません/しかし失業の規模をかなり制限し、産業システムの動揺を抑え、その安定性を高めることができます、そしてその方向一歩進むごとに何千人もの同胞を報われない苦悩や破滅から解き放ち、はるかに多くの人々を脳裏に焼きつく破滅の恐怖から解放することができるのであります。これが今宵私が皆さんに注目していただきたい最初の点―裂け目、社会組織に入ったひび―であり、我が国の知性はこの点に集中されなければならないのです。

 第二の悪しき事情は、はっきりしたものであり、ぼんやりしたものではありません。つまり非正規労働という甚だしい、増大しつつあることをときに私が危惧する悪であります。失業者のことはよく話題になります、しかし不完全雇用の悪こそが失業の根源なのであります。多くの職業、ほとんどすべての職業において、そのすぐ外側に非正規労働者が存在し、景気のいい時にはいつでも超過人員として利用され、景気が悪くなったらいつでも寄せ場へ放り出されるという傾向があります。多くの職業の雇用者と監督者は意識的または無意識的に、通常必要とされる人数よりも多くの人数に仕事を分配しがちであります、なぜなら、そうすることで明らかに労働者との交渉力が増し、事業活動が活発な時期に便利な予備軍を補充できるからであります。

 そして私が皆さんに、そして皆さんを通じてこの国に強く訴えたいと思っていることを申し上げます。常に非正規雇用で手に職のない、週に三日か、せいぜい四日の仕事しか得られず、一度に三、四週間も仕事がないこともある労働者がいます。彼は悪いときには完全に沈み込み、良いときにも安定や倹約を期待できません。彼の全人生と妻や子供たちの人生は、彼の理解やコントロールを超えた状況との、闇雲で、絶望的で、運次第の、ある種の賭けをしているのです。この貧しい男、この恐ろしく、そして哀れな人物は、事故や偶然の結果によってそうなったのではなく、自ら非正規になろうとして非正規になったのではなく、すぐに正される一時的な混乱の結果そうなったのでもないのです。そうではないのです/非正規労働者は、ここに存在することを望まれているがためにここに存在しているのであります。完全にはっきりと定められた需要に応じてここにいるのであります。非正規労働者はあまりにも長い間規制されてこなかった経済的要因の結果としてここにいるのであります。非正規労働者は自然の産物ではなく、首相の言葉を借りるなら、特定の時代のすべての産業と、すべての時代の特定の産業の要求に合わせて製造され、利用される製品なのであります。

 商務庁ほどこうしたことを知ることができる部署はないでしょう。商務庁は全国各地のあらゆる場所で資本と労働の両方と良好な関係を築いています。私は敢えてこの事実を申し上げるのです。皆さんにもよく考えて、よく理解していただきたいです。非正規労働者の増加を抑制し、その量を減らすための対策は、失業に対処するための徹底的かつ科学的な試みに欠かせないものであると思われます、またそれを大幅に減少させられる実践的な手段があることを信じられなかったならば、私がこの悪について皆さんに申し上げることはなかったでしょう。

 私が述べた第一の悪しき事情が産業組織の欠如であり、第二が非正規労働であるとするなら、第三の悪しき事情はそれらに劣らず重要なものであります。すなわち、目下の少年の労働事情であります。少年の賃金で大人の仕事をし、大人の賃金が必要になるやいなや追い出される少年や若者という競争相手によって、労働市場の底が全体的におかしくなっているのです。その悪は大人を害しております/しかし、少年、我が国の若者、私たちのあらゆる努力の後継者、歴史とロマン、科学と知識―そう、そのために多くの勇敢な世代が戦い、労苦してきた国家の栄光という―長きに亘る宝を受け継ぐ英国の若者たちをいかに害していることでしょうか、二十世紀において私たちは彼らをどのように扱っているのでしょうか?搾取されてはいないでしょうか。やる気をなくしていないでしょうか。捨てられてはいないでしょうか。

富裕層の若者はみな十八歳か十九歳まで厳しい規律に服しているのに対し、国民の大部分は十四歳を過ぎると野放しになります。間違いなく最初の就職は容易であります。広く、多彩な分野があります/若者向けの半端な仕事は百もあります/しかし、現在若者に開かれているほとんどすべての雇用形態は彼らに何の機会も与えず、彼らが成長したときに何の役にも立たず、彼らの多くに自堕落で有害な人生を送らせることになるのです。その結果はどのようなものでしょうか?その結果はこの厳しい事実に表れているといえるでしょう、失業者法の下で援助を申請している失業者のうち、二十八パーセント以上が二十歳から三十歳、すなわち体力と男らしさが最初に迸るときに、すでに人生という暗く波の高い大海を絶望的に漂流している人々なのであります。この問題に関して私は、いかなる少年少女も単なる安い労働力として扱われるべきではない、この国のすべての少年少女は十八歳までは、昔の徒弟制度のように、生計を立てるだけでなく職業も学ぶべきである、と敢えて申し上げるのであります。

 こうした悪や似たような悪に対処するためのすべての試みは、金銭の支出を伴います。資本家や金持ちを罵倒しても仕方がありません。彼らは他の誰よりも悪いわけでも良いわけでもありません。彼らは自分たちの置かれた条件の下で全く当然の働きをしているだけであります。その条件が悪ければその結果は悪しきものとなり/その条件が改められればその悪も和らぐでありましょう。またイギリスの富裕層がより完全で精巧な社会組織に対するこの国の明らかな必要に応じることに吝かだったり気乗りしなかったりはしないと思います。増え続ける浪費家や穀潰しの安楽を人工的に守るために公的資金を浪費したり費やしたりすることに、彼らは当然ながら反対するでしょう。また、自分の懐に障るものにむっつりと抵抗する利己的な要素もあるに違いありません。しかし、私が述べたような悪に対処するために、適切に準備され、科学的に考案された大規模な計画が提示され、国民生活がはるかに安定した安全な基盤に置かれることが示されれば、何千人ものお金持ちが喜んで必要な犠牲を払うはずだと私は思っています。なにはともあれ、見てみましょう。

 来る年は重要な財政の年になるに違いありません。財政は間違いなく、激しく、長引く議論の対象になります/しかし、私は社会改革の可能性を検討する際に、同胞の中でより恵まれた人々の間に見られる、強い愛国心という要素、そして私が名前を挙げた他の国の富裕層と彼らを立派に区別してきた要素を、必ず念頭に置くことにしています。

 私は今、英国の労働事情に主として影響を及ぼしている悪い事情を三つ、たった三つだけ取り上げました。確かに首相が仰ったように、すべての社会改革がいかに密接に関連しているか、十分な他国に依存しない人口を国土に維持することがいかに国家の健康と安全にとって不可欠か、そして、少なくともスコットランドでは現在の小作農の状況がいかに不満足であるかを忘れてはなりません。また英国民主主義の社会的、道徳的、政治的進歩にとって、放縦という呪いがいかに致命的であるかということを忘れてはいけません。土地や節酒の改革を支持して声を上げ、力を尽くしている男女の中に、貧しい人々の苦しみを和らげるだけでなく、英国の繁栄の健全な前進を促そうとしていない人々はいないでしょう。

しかし、私たちが直面しているこの失業の問題の範囲がいかに広大であるかをご覧ください。この問題の細目と難問がいかに入り組んでいることか/パニックに陥ったり慌てたりして立法することがいかに愚かなことか/慣習的な方法や偏見に頼ることがいかに無駄なことか/もし私たちの産業人口が悩まされている不安という大きくて恐ろしい悪を我々の国民生活の中で効果的に減少させようとするなら、どれほど真剣に研究し、どれほど辛抱強く苦労して準備し、どれほど精神が科学的でなければならないか、どれほど勇気をもって行動しなければならないかを知ってください。また、どのような極端な政治哲学を持っているのかは存じませんが、このような悪に対して簡単で単純で確実な救済策を持っていると言う政治家が、どのような種類の政治家であるか、考えてみてください。関税改革、たったの十パーセント、つまり外国の製品に十パーセントの関税をかけ、小麦に課税すれば、「すべての人に仕事を与える」ことができると言う人たちとはなんと無節操で無謀な冒険家なのでしょうか。先日のダンフリースでの講演で、バルフォア氏が率直に、正直に、関税改革、言うところの「財政改革」は失業や貿易変動の解決策にはならない、と大胆に宣言されて、トーリー党のためにそれをこの国に売り込んでいる図々しい政策行商人と決別されたことを私は非常に喜んでおります。

 バルフォア氏がこうした認識を示されことに私たちは感謝し、敬意を表するとともに、今度は私の認識を示したいと思います。関税改革や保護、財政改革など、どう呼んでも良いですが、それは失業の救済策にはなりません―大規模にそれを採用した他の国々の経験から、それは明らかです―といって自由貿易それ自体が失業問題の救済策になるわけではありません。悪はより深い場所に潜んでおり、その原因は輸入税の有無で解決できるほど単純なものではありません。そしてその手当には経済的なものに留まらず、私たちを英国政治のまったく新しい未踏の分野に連れていく性質の、特別な措置が必要なのであります。

 困難を和らげたり、全体的な雇用水準を調整したりしようとする際には、困難の原因となる産業の無秩序化を促進しないよう最も注意しなければならないという意見に私は心から賛成します。しかし、すべての人は自分の面倒を見なければならず、私が言及したような事柄に国家が介入することはその人の自立心、用心、倹約にとって命とりになると言う人々には同意できません。たとえば老齢年金の無拠出制は倹約にとって命とりであると言われており、それによって労働者階級の大多数が老後のための有効な備えをしなくなるだろうと警告されています。しかし、かつて彼らが老後のためにどのような有効な備えをしたことがあったでしょうか。恐怖が倹約を促すとするなら、我々が放棄した制度の罰則はこの世で最も倹約を促すものであったはずであります。労働する貧しい人々の多くは余裕を持って老後に備えなければ救貧院で惨めに死を迎えることを知っていました。それでも彼らには備えがなかったのです/老齢年金制度は労働者階級が老後に備えることの妨げになると言われたなら、私はそんなことはあり得ないと申し上げます、なぜならいまだかつて彼らにそのように備えができたことはないからであります。そしてこの制度は倹約を妨げるどころか、かつてないほどに倹約を奨励することになる、と私は信じています。

 恐怖だけが倹約の理由になるという考えは大きな間違いであります/それは恐怖と同様に希望から生まれるものであります/希望のないところには決して倹約もありません。週五シリングが老後の十分な蓄えになるなどと誰も思いません。70歳が老衰が押し寄せる人生の最も早い時期だとは誰も思いません。私たちは(*溺れている)労働者を乾いた陸地に引き上げたとはと言いません/そのような力はありません。私たちがしたことは、その浮力が彼自身の激しい努力を助け、岸にたどり着くことができるよう、救命胴衣を結びつけることであります。

 さて、スコットランドとダンディーの自由党員の皆さんに、二つの言葉を申し上げたいと思います―「勤勉さと大胆さ。」これを来るべき年のモットーとして頂きたいのです。「人生は短く、悪しきもの(*哲人皇帝マルクス・アウレリウス、キリスト教徒の人生観について)」と書かれています。すぐに、あっという間に、私たちの短い人生は終わってしまいます。すぐに、あっという間に、私たちと私たちの事物は過ぎ去ってしまうでしょう。数知れない世代が私たちの墓を気にも留めずに踏み超えてゆくでしょう。もし崇高な目的のために努力し、私たちが死んだ後に生きる人たちのために、この混迷した世界をより良い場所にしようとしないのであれば、生きることに何の意味があるのでしょうか。それ以外にどのように、無限と永遠の、偉大な真理と慰めに自らを調和させることができるのでしょうか?そして私たちはよりよい日々に向かって行進しているのだ、と私は信じています。人類は決して打ちのめされることはありません。私たちは前進しているのです―壮大な王道を、軽快に勇ましく―そして遠くの山の向こうには、すでに太陽が上ろうとしているのです。

 

2022.3.16