Supposed Confessions of a Second-rate Sensitive Mind
二流の敏感な心の告白とでも言うべきもの
ああ、神よ!私の神よ!今こそ慈悲を垂れたまえ。
私は気を失って、崩れ落ちてしまいそうです。人は言います、
あなたは私のために、
私のような者のために苦難と死と軽蔑を
耐え忍んで、死んで下さったのであって、
私の罪は、あなたの茨の冠の
一本の棘になって、その魂を傷つけたのだと。—そして、
この無知の極みの苦しみの中にある
今でさえ、私は印を求めてしまうのです!もし今、
一人祈る私の傍らで、微睡んでいるかのような夏の正午を
一筋の火が切り裂いたなら、私の信仰は
もっと強くなるだろうに、などと考えてしまうのです!
私の傲慢は、完全に打ち砕かれたのではなかったでしょうか?
霊的な高ぶりも静まったのでなかったでしょうか?
自由意志に抱いていたかつての喜びは、
冷たく、死に絶えて、屍のようになったのではなかったでしょうか。
あなた以外の何が私に残されているでしょうか?
あなたとあなたへの信仰以外に
何があるというのでしょう?人々は私の横を通り過ぎていきます/
幸せそうな顔をしたキリスト者たち—
子供たちはみな、あなたに満たされているようです!
女性たちは、
天使たちが声高く人々に語り、
あなたと平和がこの世に産み落とされたあの幸福な朝、
あなたの上に身をかがめられた
お母上のような聖らかな微笑みを浮かべています。
善意は私に、そしてすべての人に等しく向けられていますー
私も彼らの一人であり/彼らは私の兄弟/
キリストにおける兄弟—日々続く
平和と信頼の世界/
万物の終わりまで確信と希望が続いて、
そして一つの天国が、私たち全員を受け入れて下さるのです。
信仰の共有が、どれほど甘美なことでしょうか!
死への軽蔑の共有が!
そして土が土に還る
埋葬のとき、
人間の心を傷つけ、蝕むような棺の綱のきしむ音を聞いて、
それを恐怖ではなく、希望に満ちた悲しみと
受け止めることができたなら、どれほど救われることでしょうか!
三倍も幸せなことでしょう、ふたたび
膝の上に抱かれて
薔薇色の指を母親の首筋に遊ばせる、
疑うことを知らず
母親の瞳の他に何も知らない、
幼子にもどれたなら!
その瞳は、夜も昼も彼を慰め/
その小さな命をいつも照らしているのです/
彼には、訪れようとする災いへの憂いもなく/
生や死への煩いもなく/
喜びが外に溢れ出すことさえ稀なのは、
幸福と、完璧な安らぎが、
あまりにも深く内側に満ちているからなのです、
幸福は、自らの神殿であり生誕の地である幼子の無垢な心を、
そこに噴き出す泉の底の源に
永遠に住まうことを願うほどに愛しています、
そして、地上をさまようことも、幼子の血に混じり合って
彼を至福で満たしている自らの繊細で温かな黄金の吐息を
その冷たさで白くしてしまう
うつろな空気を吸うことも嫌い、遠ざけるのです、
ああ、それは確かに、
神の特別なご配慮なのです、
疑念から守り、試練に耐える鎧を着せ、
三重の鎖帷子のような信頼と澄み渡った喜びで、
幼子の人生の曙を守ることは。
願わくば、私の陰鬱な空想が
母上、あなたのようなものであったなら、
あなたの膝に額をあずけ、手に手を包まれながら、
最も神聖な祈りによって、私のために立てられた誓願を
私は聞いていました—その価値のない私のために!—そして
信仰の美しさと安らぎを知る
あなたの穏やかで深い瞳と、
そこを通して輝きを放つ澄み切った魂を見上げていました。
ああ、なぜ私たちは、これほど深く張った
根から歪んで育ってしまうのでしょうか?なぜあえて
砂漠に踏み出すのでしょうか?あなたが跪いた
その場所に、私も身を屈めることが
できないのでしょうか—ここにある氷が溶け去って
あなたと同じように感じられるようになるまで?
母上、あなたが粘土の下深く眠っているとき、
どのような悪魔が、あなたが育てた花を傷つけ―
あなたの百合から露を払い落とす非情さを持っていたのでしょうか?
それは私なのでしょうか?そうなのでしょうか?私なのでしょうか?あなたへの
愛はそれほどまでに小さかったのでしょうか?しかし
なぜあなたの清らかな祈りは打ち勝たなかったのでしょうか?なぜ
聞き届けもせず、救える力がありながら
救おうとしないお方に祈られるのでしょうか?あなたは信仰に篤く、
境遇の悲しみにも強かったにもかかわらず聞き届られませんでした。もし
あなたが今でも嘆願を続け、私が帆をいっぱいに張った小舟に乗って
真っ暗闇を、轟く旋風が吹き荒れ、こだまする中を、
導き手もなく、死の瀬戸際まで傾きながら、
沈みはせずに漂っているのを見られたなら!私には
わかっています。もしあなたが存命なら、
日々の深い祈りの中で、
朝な、夕な、
私をあなたの神と和解させようと
努めて下さったであろうことを。
たとえ私の希望が灰色で、心が冷え切っていたとしても、
なおもあなたはつぶやかれるでしょう―
「この羊をあなたの囲いに連れ戻したまえ、
主よ、もし御心ならば。」
あなたは私に仰るでしょう、鞭の罰と
傲慢への懲らしめに耐えねばならないと/
悪魔の罪であるその傲慢こそが、私と
神の光との間に立ちはだかっているのだと/
これまで私は神を侮り
拒んできたのだと—もし私が祈るなら、
神の溢れる愛から、
み恵みがマナのように私の荒れ野に
滴り落ちるだろうと―神が動かれ、
そして、その硬い、硬い岩を打たれたなら、そこから
この上なく苦いながらも甘い、
悔悟の涙が流れ出して、
それが希望の命を青々と保つだろうと。ああ!
悲しいかな、今の私には傲慢が住み着くどころか
留まる余地さえありません。私はうつろで、暗く、形がなく、
完膚なきまでに叩きのめされているのです。
ならば、なぜ信じないのでしょうか?
なぜ人が繋がれ、安らいできたその場所に
己の弱さを繋ぎ止めることができないのでしょうか?ならば
嵐に刻まれ、侵食されたあとの広い砂浜に
パリパリと波の斜面が打ち寄せる
夜半の海に問うてみれば良いでしょう、なぜ
氷河湖のように微睡まないのかと?
なぜその波頭は、地中の湖の
さざ波やうねりとは違うのかと?なぜ
海はそのように呻いているばかりで、
湖に色を与え、それを覆いつくしている青い空を、
自らの苛立つ水に映すことが叶わないのかと?私はあまりに孤独で、
あまりに震えています。自らの弱さは
私の判断を狂わせ、疑念と恐怖は足元を揺るがして
私の精神を混乱させています。
「それでも」と青春の朝の、
まだ日に灼けておらず、新鮮な力に満ち溢れ、
真理を求めて歩き出した、あの頃の私は言ったものでした、
「もし、疑いの中から真実がようやく
不変のものとして浮かび上がり、
燃え盛る火と
荒れ狂う風の中から、
輝く額と完璧な手足を持った
この卓越と
不変の美の確かな形が
ついに立ち現れるのならば、
疑うことこそが、人間の特権なのだ。なぜなら去勢牛は
苦役で蹄がうっ血しない限り、
恐れることなく穏やかに、
ただ草を食み、眠り、暑い夏に
尖峰の谷間や、
木々に縁取られた丘の窪みを
穏やかな鳴き声で満たしている。群れの中の
小羊は、その年を喜び、
仲間と自由に駆け回って、
花咲く畝から母の呼ぶ声に応える。やがて、
思いも寄らず短い痛みが
その温かな心臓を貫く/すると、その視界は
どこからともなく暗くなる/跳ね回り、
登り慣れた故郷の斜面が、
曇って光を失った瞳から遠ざかり、
暗闇の中の何者かが
その額を地面に引き倒し、
そして子羊は死ぬ。
人もまた、生きている間は
生き続けること以外、夢想だにしない若い小羊のような、
喜びと希望の中に生きるべきなのだろう?
私たちは生と死や、
目に見えるものと、目に見えないものの理を見つめ、
私たちの二重の性質を解き明かし、
あらゆる信条を比較して、
もしそんなものがあるとするなら、
唯一つの真理を見つけ出すべきではないのだろうか?」しかし、ああ!
悲しいことに、誰もが疑いを持てるわけではありません、いたるところで
誰かが偶像にしがみつかねばならないのです。しかし、私の神よ、
私は何を偶像と呼んでいるのでしょうか?あなたの鳩の影で
私を覆いたまえ。私の罪を忘れ去り、
あなたの愛で私を照らしたまえ。ああ、教えたまえ、
あの重しい土くれが私の上にのしかかって、地の底の濃い暗闇で
あの鋭い口を持つ虫たちの貪食が始まる前に。
ああ、倦み疲れた生よ!ああ、倦み疲れた死よ!
ああ、荒れ果てた精神と心よ!
ああ、呪わしい、この揺れ動く境遇よ!
2025.12.31
・この詩はテニスンが21歳のときに書かれたものです。本人の母は存命でした。従って死んだ母への語りかけはフィクションです。
・当時の子羊の屠殺法は頸動脈の切断でした。
https://www.telelib.com/authors/T/TennysonAlfred/verse/juvenilia/supposedconfessions.html