Amphion アンピオン
父は私に大きな地所を残してくれた、
しかしそれは荒れ果た不毛なもので、
木がほとんどない庭園も同じだ、
そしてウサギの巣穴よりも荒廃している/
それでも近所の人たちはそれを
悪くない、良い土地だ、
そこには森に育つすべてのものの
種が宿っている、と言う。
ああ、私は古のアンピオンの
歌が偉大だった時代に生きたかった、
そして種や苗木など気にすることなく
私のフィドルを持って門に行きたかった!
そして私は木々の脚が軽やかで、
そして歌が偉大だった時代に生き、
そして私のフィドルを持って門に行って、
そして木々の間でフィドルを奏でたかった!
彼は音楽的な舌を持っており、
その調べはとても幸せなものだったので、
どこに座って歌ったとしても
彼は小さな草木を残し/
どこであれ、さびしい木立の中で
彼がひとり笛を吹き始めると
痛風の樫の木が動き出して
フォークダンスに加わろうともがいた。
山はその生い茂った冠を揺らし、
言い伝えのとおり、
若いブナと戯れながら
若いトネリコが軽やかに降りてきた/
ブライオニーのツルとツタの花輪は
彼の韻律に合わせて前進し、
谷底からは
小さな雑木林が登ってきた。
ボダイジュは列を乱し、
絡みつくスイカヅラの花輪を引き裂いて、
そして真ん中を、すべてのミツバチを従えて
ブンブン!と唸りながら進んでいった/
ポプラは整然とした長い列になって
イトスギとゆっくり歩き、
もじゃもじゃ頭の柳は二列になって
川沿いを駆け足で行った。
足を濡らしたハンノキが水から出てきた、
イチイの木たち、憂鬱な連中は/
それぞれ墓場から片足を引き抜いて、
スピノサスモモとポセットを踊った/
古いニレがツタを振り払って来た、
ツタはわらわらと後について来た、
そして、松脂の汗を流しながら、
もやのかかった谷間から松が集まってきた。
そしてそれは、見ものだったのではないだろうか、
歌が終わる前に、
大きな地滑りのように、木が一本ずつ、
田園風景の中に降りてゆき/
そして、不揃いの日光を浴びた
酔っぱらったような葉っぱの乱舞を
羊飼いたちが山の家から
半ば喜び、半分ば怯えながら見下ろす光景は?
ああ、自然は最初、人間にとって新鮮で、
とてつもなく奔放だった/
とても若々しく、とてもしなやかだった、
あなたはそれを意のままに動かした。
ピチカートだ、私のフィドルよ、枝を揺らせ!
そしてダンスに参加させろ/
鳴れ、フルートよ、硬く張った小枝を、
そして硬直した根と腱を動かせ!
ダメだ!この低俗な時代に
私はアザミでさえ動かせなかった/
生垣のスズメたちでさえ
私の口笛に応えもしない/
せいぜい、フィドルをかき鳴らし、
ギーギー擦ることに飽きた頃、
干し草の山からロバがヒーハーと鳴き、
おとなしい牛たちが欠伸するくらいのものだ。
しかし、私が聞いているのは何だろう?
弁護士の弁論のような眠そうな声は/
ああ、主よ!―それは隣人の土地で、
現代の詩神たちが読書する声だった。
彼女たちはそこで植物学の論文を読み、
そして園芸の本を、
そして木をあたかもそこで育ったものであるかのように
移植する方法について読んでいる。
しおれたお嬢さんたち!彼女たちがいかに
長々と船乗りの旅の本について語り、
そしてイングランドからヴァン・ディーメンまでの間に育つ
すべての植物の挿し木を見せることだろうか。
ガラスケースに閉ざされ暖められた
四角い熱帯の夏のそばで、
刈り込まれ、切り揃えられた木陰、
そして小道や薄暗い場所で彼女らは読書している。
しかし、注意深く与えられた土で育てられたものたちは、
緑でもなく、みずみずしくもなく/
半ば庭の噴霧器を意識して、
ひょろひょろと不幸せそうに見える。
私にとっては、山の上で風に吹かれる
最も平凡な雑草、
自ら生え育った泉のほとりに種を撒く
最も卑しい草の方が好ましい。
そして私は、敷地の適当な一画に
私の草木を育てるため、
数ヶ月の骨折り、
そして数年間の世話をやり遂げなければならない。
私は雨を降るに任せる、
私は心を悩ませない/
すべてが終わった後、
庭に小さな花が咲けば十分だ。
2025.11.2
*アンピオンはギリシャ神話に登場するゼウスの息子で、竪琴の名手とされています。ヴァン・ディーメンとは現在のタスマニアのことです。
https://www.telelib.com/authors/T/TennysonAlfred/verse/englishidyls/amphion.html