To J.S. J.S.様 啓上
山を打つ風も
開けた野を渡る時は和らぐもの、
そして、穏やかな魂を持つ者には
世界もまた穏やかなものだ。
その確信が、私を大胆にさせたのだ、
さもなくば、こうして君に言葉をかけて
君の聖なる悲しみに詩句で踏み込む勇気など
私にはなかっただろう。
不思議なことだ、私たちが最も頼りとする人たち、
私たちの手足をその膝に抱いて育んでくれた人たちが、
真っ先に影の中に消えてしまうのは:
最初に愛した人々こそが、最初に連れ去られてしまうのだ。
神は私たちに愛を授けられる。
愛すべきものを貸し与えてくださる/
しかし愛が熟した時、その対象は消え去って
ただ愛だけが、あとに取り残される。
これが時の呪いだ。
ああ、私も悲しみを知らない者ではない。
かつて私の家の門を「死」が通り過ぎた/
一人が去って、二度と戻らなかった。
あの人はもう、私に微笑みかけることも―
語りかけることもない。二年間、その椅子は
空いたままだ。その存在なしに
今の私もないというのに。
君が失ったのはさらに希少なものだ/この星は
君と共に天のわずかな円弧を昇って、それほど
遠くに行かないうちに
突如として闇の中へと流れ去ってしまった。
私は君の弟を知っていた:
その物言わぬ遺灰に、そして生前の美徳に私は敬意を払う:
これほど清らかで、勇敢で、公正な人物が
この世に生まれることは二度とないだろう。
その貴い魂が眠りについて以来、
私は君を近くで見てはいない。
「偉大なる自然」は私よりも賢明だ:
だから、君に泣くなとは言うまい。
私の目もまた、魂から脳を伝ってあふれる
露でいっぱいなのだから。
「泣けばいい、涙は心の痛みを和らげるのだから」などと
説教するつもりもない。
「悲しみ」をそれ自身の主人にすればいい。
それは、いかなる悦びよりも
自らの深い苦悶を愛しているのだ。
泣くも泣かぬも―心のままにさせればいい。
私はこうも言わない、『「死」という
「神」の定めはあらゆる風の中に吹いている』とは/
気高い精神を奪い去る死は決して
ありふれた偶然などではないのだから。
彼の記憶だけは私たちの心の中に
長く生き続けるだろう、
太陽が沈んだ後に漂って、夜の半ばまで
天に留まる、あの切ない残光のように。
虚しい慰めだ!「記憶」は近くに立って
目を伏せ、その声は喉の遠い
奥底にあり、私が書いている文字の上には
一滴の涙が落ちた。
私が何を書いたのか、自分でも分からない。
若い日に兄弟を亡くした君を
どうして慰めることなどできようか?
それでも、何かを伝えたいと思ったのだ:
彼はまた、私の友人であったのだから:
君たち二人は私の友であって、私の真実の胸は
二人のために血を流している/しかし
おそらく今、最もふさわしいのは沈黙だけだろう。
君の悲しみにより弱い言葉を重ねるなら、
かえって悲しみを深めてしまうだろう。
私自身が安らかに眠る彼に代わりたいとさえ願うほどだが、
もう筆を置くことにしよう。
安らかに眠れ、優しい心よ:
眠れ、聖なる霊、祝福された魂よ、
星々が燃え、月が何度も満ちて、
巨大なる時間が過ぎ去っていく間も。
終わりの日まで眠れ、真実で愛しき魂よ。
君には、もはや新しく奇妙なことは起こらない。
頭から足先まで、安らぎに満ちて眠れ:
静かに横たわれ、物言わぬ塵よ、変化の手から守られて。
2026.1.25
・手紙の受取人のジェームズ・スぺディング(1808―1881)はケンブリッジの使徒団のメンバーで、フランシス・ベーコンの著作の編集者として知られています。この手紙は1832年にスペディングの弟エドワードが急死した時に書かれたものです。
https://www.telelib.com/authors/T/TennysonAlfred/verse/ladyshalott/tojs.html